太子堂まちづくりの課題

 

 

 

3-1 協議会活動の課題

 

(1)これまでの協議会活動の特徴

 

 昭和57年に発足した太子堂地区まちづくり協議会は、発足時に時間をかけて組織のあり方につ

いて協議しました。その基本となる考え方は今でも継承されており、住民参加の太子堂まちづく

りの大きな特徴となっています。

 

 誰でもいつでも自由に協議会に参加できること

 協議会は、発足時に「公募」でメンバーを募りました。当時の一般的な考え方は、地域の代表

者を行政が選んでお願いするという形式でしたので、公募方式自体が画期的な試みでした。

 その後も、希望者があれば誰でも協議会に参加できるようになっています。そのため、協議会

のメンバー数はいつでも流動的です。累積すれば沢山の方が参加していることになります。また、

地区外の方でも希望があればオブザーバーとして参加できるようになっています。オブザーバー

の方が多く参加されたのも協議会のひとつの特徴でした。

 

 情報をつねに地域に公開し周知すること

 協議会では、会議の内容や決定された事項に関する情報を地域の方々に公開し、理解力を求めることを大事にしてきました。区が発行する「まちづくり通信」や協議会が発行する「協議会ニュース」やまちの掲示板利用等いろいろな方法で情報公開とその周知につとめてきました。このことは協議会の会則にも示されています。

 このようなやり方は、今でこそどこでも行われていますが、当時は前例がなく「紙爆弾」といわれたこともあります。しかし、それでも一部の地域の方々からは「協議会やまちづくりのことは全然知らされていない」という批判をしばしば受けました。

 

 議決は多数決によらず全員一致をめざすこと

 協議会で、何かを決定しなければならない場合は、原則として全員一致まで協議していくこと

としています。協議会の参加者には、いろいろな意見をもっている方がいます。なかなか意見の

一致を見ず決定まで時間がかかってしまうこともしばしばありました。

 しかし、時間がかかっても全員が納得できる形で進めていくことが重要であるとの考えは今で

も協議会の基本となっています。協議会の会則では「協議会において決定すべき事項は、合意に

達するまで相互に努力する」となっています。

 

 まちづくりの話し合いの場づくりをめざすこと

 協議会は、「住民の声を背景にまちづくりについて話し合う場」ですが、まちづくりに関連し

て、協議会メンバー間や地域住民間で意見が異なっていたり、住民と行政とが対立している場合

には、協議会の枠をこえて幅広い話し合いの場を積極的に生み出す努力をしてきました。

 その発想から生まれたのが、烏山川緑道をめぐっての協議会メンバーと周辺住民および区とで

なされた「緑道会議」であったり、道路の拡幅整備や地区計画での位置づけをめぐっての「沿道

会議」であったり、小広場づくりで協議会メンバーと周辺住民と区で話し合われる「広場会議

(後にパークショップといわれる)」でした。また、三軒茶屋再開発等の問題では、協議会が主催

して説明会やシンポジウムを開いたこともありました。

 

 できるだけ現場へ出て学び考えること

 協議会は、概ね月1回の定例会を基本にしてきましたが、平日の夜の時間帯が多く、より広範

な住民の参加を求めるためにも日曜日や祝日の昼間にまちの現場へ出ることが必要であると考え

ました。そこから発意されたのが「太子堂を歩こう会」でした。グループに分かれて大人も子ど

ももまちを歩き、いろいろな発見をしていきました。その後、このやり方は「ブロック塀点検

会」「生け垣点検会」「二項道路点検会」等の点検会や、「きつねまつり」「とんぼ広場餅つき大

会」「オリエンテーリング」などイベントの形で現場での活動に広がっていきました。

 

 

 

(2)協議会活動の運営上の問題点と課題

 

 このような形でスタートした協議会でしたが、発足後18年余を経過した現在、さまざまな問題

点や課題を抱えるようになりました。現在、協議会メンバーが共通して感じている協議会活動の

運営上の問題点と課題を整理すると次のようになります。

 

① 定例会参加者の少数・固定化

 現在、太子堂2・3丁目地区は、約4000世帯、6900人の方が居住しています。それに対して協

議会会員数は71人いますが、毎月行われる定例会の参加者は10~15名程度となっています。協議

会の発足時に比べてメンバーは次第に少なくなるとともに固定化してきました。

 18年もの経過の中では、5~6名で進められた時期もあれば、40~50名も集まって会場に入り切

れないようなこともありました。長期化するにつれて協議会活動に新鮮さがなくなったり、マン

ネリ化してきている点は否めませんし、いろいろ批判もあると思います。一方で、協議会に対し

て安心感があり、定例会には出席しなくても大丈夫といった住民も多いように思われます。事実、

沿道会議や建築紛争あるいはイベント等の場面では、多数の方が参加しています。

 このように参加者が少なく固定化されていると、協議会の日常的な運営は、ある意味でとても

円滑で意見もまとまりやすくなってきます。しかし、その反面、多くの地域住民の考えを十分に

反映することができなかったり、独善に陥りやすい傾向にあることも危惧されます。

 「協議会メンバーを増やそう。新しいメンバーを増やそう」このことは、協議会発足以来、常

に言われ続けてきた課題です。

 

 新旧会員の知識格差、情報格差

 それでも、新しく協議会のメンバーとして参加しようとする方は毎年登場します。その際、問

題とされるのが新旧会員の知識格差、情報格差です。当然のことながら長い間まちづくり活動に

係わってきた旧会員は、知らず知らずのうちに専門用語や行政用語を使って討議するようになり

ますし、まちづくりの経過の中で折々に起こる問題に対応しようとします。

 ところが新会員は、これらの会話や討議によって疎外されたり、参加資格がないように思いこ

んだり、身近な問題を出すのを控えたりします。そのために、次第に定例会に出席しなくなるこ

とがしばしばあります。

 長期間に及ぶ協議会の活動において、このような傾向は避けられないことではありますが、

「誰もが気楽にいつでも参加できる」ような雰囲気づくりや仕組みづくりが、協議会に課せられ

ています。

 

 協議会メンバーの高齢化

 太子堂2・3丁目地区は、まちづくりのはじまった当初に比べて、人口は大分減少しています。

また、高齢化及び少子化傾向も著しくなっています。太子堂と類似した既成市街地ではどこでも

見られることですが、このことは協議会活動にも少なからず影響を与えています。

 まず、協議会メンバーの高齢化ということが指摘できます。20年もまちづくりに関与し続けれ

ば誰もが高齢化するわけです。また、子どもを産み育てるような世代いわゆるファミリー層がず

いぶん少なくなっており、まちづくりの関心を育むうえでの支障になっています。

 このような傾向は、協議会の討議内容がどうしても同じような価値観に染められる傾向にあり、

若い新しい価値観を含めた討議ができづらくなっているように思えます。そして、協議会の討議

内容が高齢者中心の発想になりがちです。

 この問題の解決は容易ではありません。協議会メンバーに意図的に若い方の参加を求めること

は可能ですが、本来的には太子堂のまちのあり方に関する問題であり、都市居住と地域社会のあ

り方の問題ともいえます。

 

④ 新しいメディアの活用、情報化対応

 協議会では、以前にもミニFM放送局で協議会活動の報告を定期的に行ってきましたが、イン

ターネットの普及に伴って、協議会活動の周知やPRなどへの活用を進める段階に入っています。

インターネットの活用によって、より多くの人々の意見の反映や協議会への参加が可能かもしれ

ません。また、太子堂2・3丁目地区にとどまらず広範囲な方々からも太子堂のまちづくりにつ

いての意見や提案をいただけるかもしれません。

 さらに、協議会で実り多い討議を進めるためには、情報や知識の確保や公開が必要不可欠です。

そのためには、行政や専門家の協力が必要ですし、必要な情報公開を求めていくために、協議会

と区との間で改めて「事前協議協定」的なものを結んで、地区内の建築情報の開示を求めていく

ことも検討課題のひとつです。

 

 

⑤ 行政との協働のあり方の再検討

 太子堂のまちづくりは、区と住民との協働によるまちづくり、パートナーシップのまちづくり

といわれています。確かに長い間には、時に対立したり緊張関係になりながらも区と協議会とは

太子堂のまちづくりのために協働してきました。協議会は、区の計画や事業に対して意見や要望

を出したり、協力をしてきました。また、協議会独自の立場からワークショップ等の活動を展開

したり、区への提案を行ってきました。

 このような中で、住民と行政との関係のあり方について再検討が必要な時期にきているように

思えます。住民の提案や要望とは何なのか、行政の対応や責務は何なのかといった視点からです。

住民が主体的力量を持つことを前提とした「新しい公共」といった考え方が提起される今日、行

政との協働のあり方の再検討と再構築が求められています。

 

⑥ 財政の自立化

 全国どこの自治体でもそうですが、世田谷区も厳しい財政状況のもとにおかれています。区で

は行財政改善推進計画のアクションプランを策定し、歳出の削減方針を打ち出しています。その

中には、太子堂のまちづくりに関係する事項も含まれています。

 それは、太子堂地区の街づくり事業そのものの歳出削減です。区が都や国から補助金を受けて

進めている事業も多いのですが、そのことを含めて事業の削減は避けられないところです。

 また、協議会活動への区の支援(協議会活動助成、専門家派遣等)も、他地区とのバランスな

どによる影響もありそうです。

 協議会としては、協議会活動での財政面での自立化が必要となっています。従来とってこなか

った会費制の導入や自己資金確保のための活動も検討する必要がありそうです。

 

⑦ 他団体との交流・連携

 地域にはまちづくりに関係するいろいろな団体があります。町会、商店会、身近なまちづくり

推進協議会、学校関連団体等です。協議会は、従来からこのような地域活動団体との交流や連携

をこころがけてきましたが、競合することもあって必ずしも全てが円滑に進んだわけではありま

せん。

 協議会の今後については多くの検討が必要ですが、そのひとつとして他団体との交流や連携を

今まで以上に深める必要がありますし、役割分担を定める必要があります。特に、後述する国立

小児病院跡地利用にあたっては、地域の住民・団体が一丸となって取り組む必要があり、その機

会に新たな関係を築いていくことが必要です。

 

 


 

3-2 まちづくりの課題

 

 太子堂のまちづくりは20年を迎えるわけですが、まちづくりのテーマとして今後も取り組むべ

き課題はいろいろあります。今まで取り組んできたことで解決していないこともありますし、新

たに起こった課題もあります。代表的なテ一マとして以下のことが挙げられます。

 

① 修復型まちづくりの完成図

 太子堂のまちづくりは修復型まちづくりと言われています。ハードな側面でのまちづくりにつ

いては、修復型であるために柔軟に考えられてきましたが、どこまで進めるのかがあいまいで、

目標設定が十分にできないまま今日まできています。区では「まちづくり計画」を作成していま

すが、それが太子堂まちづくりの究極の目標かどうかはあいまいなままといえましょう。

 修復型まちづくりは、行政の立場では何年先をもってどの時点で完成とするのかということが

大きな課題です。例えば、道路の拡幅整備のような課題は、この方式では20~30年程度では達成

できません。目標期間の考え方や何をどのようにして継続していくのかについての整理が必要と

されます。

 従来は、個々の事業計画に関して討議を重ねてきましたが、財政危機が叫ばれる今日、太子堂

のまちづくりに関して公共投資を進めていくことには制約があります。今後は、区の役割、住民

の役割をふまえたきちんとしたビジョンを持つことがさらに重要になってきます。

 協議会の立場に立つと、修復型まちづくりの精神を生かしつつ、住民が共通の目標となり得る

ビジョンを作成するかどうかということです。それは昭和60年に協議会が作成した「まちづくり

中間提案-10の提案」の最終版をつくるかどうかということにもつながります。

 

② 現行地区街づくり計画の再検討と現行地区計画の建築条例化

 世田谷区のまちづくりの考え方の規範となるものは「世田谷区街づくり条例」です。平成7年

に条例が改正され、地区のまちづくりについては「地区街づくり計画」を住民合意によって策定

して進めることが明記されています。

 太子堂2・3丁目地区に関しては、区内の他地区に先駆けてまちづくりが進んでいたために、

昭和60年に区が策定した計画をそのまま「地区街づくり計画」として位置づけています。この点

について協議会では討議を重ね、平成10年度に「地区街づくり計画見直し案」を作成し、地区住

民にも周知しましたが、区はまだ見直し案の最終的な取り扱いを決定していません。従来の計画

との整合性や今後のまちづくりの方向性をにらんだ、新たな「地区街づくり計画」の策定に向け

て、区と協議会との話し合いおよび地区住民の合意形成が必要です。

 また、太子堂2・3丁目地区では平成2年に地区計画を制定しました。しかし、この地区計画

は諸般の事情から建築確認と連動するための建築条例化がなされていません。そのため、地区計

画を無視して建築を強行する事業者が現れたりして混乱しています。状況の変化をふまえた地区

計画の見直しと、建築条例化が必要となっています。

 

③ 街づくり事業用地の活用

 太子堂2・3丁目地区内には、区が取得した街づくり事業用地が数多くあります。これらの用

地は、小広場として活用されているものもありますが、未利用状態のものも多く残されています。

これらの用地は、道路整備や建て替えにあたっての代替地として取得されたものや、通り抜け路

整備の布石として取得されたものなど個々の用地によって位置づけが異なります。未利用地の将

来の活用計画の確定とともに、すぐ実施できないものについては期限つきの暫定利用などを検討

していくことが必要です。

 

④ 国立小児病院跡地利用の検討

 太子堂3丁目にある国立小児病院は地区内で最大の面積をもつ敷地ですが、病院の移転が決定

し、多くの人々の要望や周辺地域の特性をふまえながら、広域避難場所的な機能を含めた跡地利

用の検討が進んでいます。この跡地利用は、太子堂2・3丁目地区にとって最大の事業と位置づ

けることができますし、地域住民も多様な要望を持っています。今まで住民参加によるまちづく

りを進めてきた経過からも、関係団体との連携によって跡地利用計画の策定をめざすことが必要

です。

 また、この跡地利用と関連して広域避難場所機能を持つようになると「世田谷区防災街づくり

基本方針」との調整が必要となったり、「地区街づくり計画」との調整も必要となります。

 

⑤ 建築紛争への対応

 隣接する三宿地区を含めて、太子堂2・3丁目地区周辺では建築紛争が多発しています。建築

紛争に関係する住民から協議会に相談を持ち込まれたケースも多数あります。建築紛争の事例と

しては、マンション等の高さ問題をはじめ、屋上広告塔問題、ミニ開発問題など多岐にわたりま

す。このような建築紛争の中には、区と協議会が積極的に取り組んで策定した地区計画に違反す

るケースもあります。また、地区計画に規定されていない事項で、地区住民が慣習的に守ってき

たルールを踏みにじるものも少なくありません。

 これらについて、区や協議会としては個々のケースヘの対応に追われるのではなく、地区計画

の建築条例化や別の形でのまちづくりのルール化や、新たな紛争解決のルール化等を検討してい

く必要があります。

 

⑥ あらたな住民主体のまちづくりに向けて

 太子堂2・3丁目地区のまちづくりは、区が取り組みはじめてから既に25年が経過しますが、

当初は事例のない住民参加のまちづくりとして取り組まれました。いわば、実験的なモデル地区

でのまちづくりであったといえます。その取り組みの結果、全国的にもいろいろな事例を生み出

す契機となったり、国や都や区の新しいまちづくり制度を生み出すヒントにもなりました。また、

世田谷区内各地におけるまちづくりの呼び水になったとも言えます。

 現在では、世田谷区街づくり条例に規定される「街づくり推進地区」や「街づくり誘導地区」

の地区数は、総合支所制度によるまちづくりの取り組みの広がりもあって、区内で40余りの地区

に増えました。その結果、太子堂2・3丁目地区のまちづくりは、モデルとしての性格から、数

あるまちづくり地区のひとつへと位置づけが変わらざるを得なくなってきました。

 このような背景から、これからの太子堂のまちづくりは、財政上の制約も含めて行政の関与は

薄くなることが予想されます。より効率的な事業展開とともに協議会自体の自立をも射程に入れ

た取り組みが問われます。それは、「住民参加のまちづくり」から「住民主体のまちづくりへの

行政参加」と言えるのかもしれません。今後は、行政側からのまちづくりに関連する情報(施策、

法令、制度など)の提供とあわせて、協議会側の学習努力と新しい創造的な提案づくりがますま

す求められるようになると思います。