太子堂のまちづくりを考える

 

 

       〜関係者の証言(20年の歩み)から〜 

 

 

はじめに

 

 太子堂のまちづくりがはじまってから20年が経過します。太子堂でまちづくりがスタートした

ときは全国的にもほとんど参考となる事例がなく、区も住民も試行錯誤の積み重ねで進めてきま

した。その結果、全国でも「住民参加のまちづくり」「修復型まちづくり」の先進事例として注

目をあびるようになりました。全国から太子堂地区への見学者は、今でも後をたちません。

 しかし20年も経過すると、いろいろと問題点も出てきますし形骸化もします。そこで「太子堂

2・3丁目地区のまちづくり20年のあゆみ」を作成するにあたって、今まで取り組んできた「太

子堂まちづくり」の総括をしてみようと考えました。長所も短所も自由に出し合って今後のまち

づくりの参考になればと考えたからです。

 総括にあたって、編集委員会が独自でまとめることはふさわしくないと思い、今まで関係して

きた人々にお願いしてアンケート調査を実施しました。アンケートにご協力いただいた方は末尾

に紹介しますが、個々の発言は匿名としました。結果的に行政関係者が半数となり地区外居住者

と専門家等が半数となりました。なお地区住民は除外しました。太子堂2・3丁目地区のまちづ

くりを考えるポイント、それは「住民参加のまちづくり」と「修復型まちづくり」です。

                   ※なお、枠内はアンケートに答えていただいた個々の意見です。

 

 

(1)私にとっての太子堂まちづくり

 

 最初の設問は「あなたにとって太子堂まちづくりで最も印象に残っていることは何ですか」

いう設問でした。協議会メンバーや関係した専門家のなかには、当初から現在までずっと太子堂

のまちづくりに関係してきた人もいますが、20年のあゆみの中でみると、ある限られた時期に太

子堂に関与した人が大半です。それぞれの思い出を綴ってみましょう。

 

@ まちを舞台としたイベントやワークショップヘの参加

 太子堂のまちづくりは防災を目的としていますが、より広い視点から考えるといった発想から

「多くの人々がまちに愛着を持ち、まちに住む人々がふれあう」ことを大切にしてきました。そ

こから生まれたのが、まちを舞台としたさまざまなイベントやワークショップでした。印象に残

っていることでもそのことが多く指摘されました。

 太子堂きつねまつりは、10年も続き、夏の風物詩ともなったまちづくりのまつりです。行政も

住民も地区外の人も多くの人々が参加して楽しみながらまちづくりを考えるイベントでした。

 また、太子堂のまちづくりの特徴のひとつとしてワークショップ形式による小広場づくりがあ

ります。現在ではパークショップという言葉が定着して各地で試みられていますが、トンボ広場

をきっかけとした太子堂方式ともいえるものでした。

 

 ・ トンボ広場の開設に向けての住民との話し合い。

 ・ 地区内各所につくられた小広場、その内容とつくられ方。

 ・ 最切のポケットパーク「トンボ広場」で行政、協議会、そして周辺の人々とのそれぞれの意見の違い

  を越えて土の広場に1本のシデコブシというシンブルな広場ができ、オープニングの式典を皆で祝い、

  その後の管理を周辺住民が自発的に行っていることが印象に残っています。

 ・ トンボ広場の最初の住民説明会のとき行政の担当者から提案された図面がレンガ舗装であったのに対

  して、参加者から「堅すぎます、土の地面を」という意見が出され、若い担当者が「僕はこういう教育

  しか受けてないんです」と思わず涙ぐんだ場面が忘れられません。公園づくりも参加も全てはじめての

  できごとのはじまりでした。

 ・ どうしたら自分たちの住んでいる街がよくなるのか住民と行政、住民と住民とが激しく、あるいはユ

  ーモアを交えて本音で議論し、そうした議論の過程で住民と行政が一体となり活動した結果遊び場用地

  を区が取得し、住民の方々が自分達の参加を含めた遊び場の管理方法の提案を行い、その成果として遊

  び場ができたことです。この結果住民と行政の信頼関係が生まれ、以降のまちづくりが進展しました。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ワークショップとしては、地区外の人や専門家を交えた「老後も住みつづけられるまちづく

り」や「ゴミゼロをめざすまちづくり」をテーマに実施されました。

 

 ・ 老後も住み続けるワークショップが印象に残っています。参加して、ワークショップの手法も具体的

  なまちできちんと行うときわめて効果的であることが認識できました。その後、楽働クラブができたこ

  となどです。こうした機会に参加でき、まちづくりに関わる人と知り合いになれたことを感謝します。

  いろいろな人をそれなりにつないできたのが太子堂のまちづくりだと思います。

 ・ 老後も住み続けるワークショップは、ワークショップで提案をつくった初期の試みであり大変新鮮で

  した。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 


A 住民の声との間に立った行政マンの悩み

 太子堂のまちづくりに関わった区の職員は、協議会をはじめとした地区住民のさまざまな要望

をどのように受け止めるのかといったことでの悩みや苦労が印象に残っていると指摘します。考

えてみると太子堂のまちづくりは、次から次へといろいろな問題が発生した歴史でもあります。

 

 ・ 烏山川緑道整備工事の際の反対住民への個別訪問、焼き鳥を食べながら緑道での夜の懇談会、そして

  完成したことが一番印象に残っています。特に、隣接する三宿一丁目のまちづくり協議会の発足につな

  がり輪が広がったことが忘れられません。

 ・ 雪まじりの寒い日、まちづくり通信の全戸配布で階段を上り下りし、犬に吠えられ、挙げ句の果てに

  空き室だったようで、前回配った通信がポストに入ったままだったのはつらかった。このように住民へ

  の周知、意見の把握に努めてきたつもりだったが、ある事件をきっかけに「通信など配られていない」

  「周知不足だ」などなど批判が寄せられたことがあった。この時、改めて日頃は無関心な多くの人々を

  まちづくりに巻き込むことの難しさを感じた。

 ・ 5年間担当して印象に残ったことは数多く、事例をあげるのが難しいくらいです。そのなかで、@地

  区計画案の反対意見を出した人に対する説明行脚、A狭小連担建売住宅の俎上(そじょう)にかかる住宅

  販売業者とのやりとり、Bマクドナルド広告塔撤去のための広告主との折衝、C住民とは関係ないが木

  賃事業の会計検査への対応、など印象に残っています。

 ・ ある私道の将来にわたるセットバックをお互いに確認した道路協定をまとめるため、休日に関東近県

  にちらばる地権者全員の印鑑をもらいに行ったこと、担当期間中に課長が4人も変わったこと、小規模

  宅地開発違反業者へのどなり合い事件、沿道会議での住民同士の激論、近隣住民と職員参加のパークシ

  ョップ、など書ききれないほど印象に残っている。

 ・ 広告塔問題での地元懇談会で、「都の権限だ」という課長の発言に対して「地元の意向に沿って都と

  交渉すべきだ」と担当者として発言したら住民は拍手したが、後で「行政内部の不統一は困るよ」とい

  われてしまったことを覚えている。

 ・ 建設省の局長を案内したとき、あるおばあちゃんが「丁度よいところで会った。あの家は二項道路で

  後退したあとに塀が出てるよ。しっかり指導しなさい」と言った。局長さんが目を丸くして「お年寄り

  があんなに二項道路を理解している。地元は頑張っているんだね」といわれ、してやったりのひととき

  でした。

 ・ 建て替え計画をした住民の30%に共同化の提案をし、まとめるのに苦労したことが印象的だ。ようや

  く実現したケースもあるが、現在の街づくりマップには、木賃の助成を受けたものしか記載されていな

  いのは残念。当初はオープンスペースが少しでも確保できればいいと考えながらやってきた。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


B 協議会と太子堂まちづくりの印象

 太子堂地区まちづくり協議会そのものや、参加してくる人が印象に残っているとの意見も多く

あります。

 

 ・ 協議会が設立したとき、構成員が居住歴の旧い人、比較的新しい人、住宅地の人、商店街の人など、

  防災の視点から利害をこえて一堂に会し、自分達の住んでいるまちの空間やコミュニティを考え、どう

  したらよくなるかを話し合えたことが印象的です。

 ・ はじめの頃、協議会で住民が街のことを考えることを、教科書的に知っていたが、世の中に本当にそ

  ういう人たちがいたのでびっくりした。

 ・ やっぱり人が印象に残ります。協議会をやるうちに参加者の方がどんどんまちづくり人になっていく

  姿がすごいなあと思いました。

 ・ 協議会と町会との間で、どうして意見があわないことが多いのかということを感じました。行政内部

  のチャンネルが違うせいもあるが、協議会と町会とがかみあわないときに町会に参加していくことを心

  掛けた。町会の人はあまり語らないが、その人々の声を聞くことも大切だと思う。

 ・ 協議会に参加し、まちの人たちの様々な思いにじかにふれることができたことです。その中で、きつ

  ねまつり、緑道の改修、マンション広告塔、三茶の再開発等々、単に夢を語るだけではなく、現実に起

  こる様々な問題に住民、行政、コンサルの方々が一生懸命取り組んでいたことが印象的です。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 また、太子堂まちづくりについての率直な疑問の声もあります。

 

 ・ 太子堂まちづくりに費やされた「人・物・金」の多大さが気になる。特に直接投資の金額の膨大さに

  は驚かされる。これだけのエネルギーを注ぎながら、まちづくりの目標に対してどこまで達成されてい

  るのか、残された課題は何であるのか、投資に見合った効果が有効に働いているのかどうか、客観的な

  見方では理解できないというのが感想である。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 


C 次代へのメッセージとして

 このように、太子堂まちづくりの印象は様々ですが、共通しているのはそれぞれの生きかたに

大きな影響を与えたヒトコマであったということのようです。

 最後に、小さい頃にきつねまつりに参加して、今、26歳の主婦として川崎に居住している女性

 の声を紹介し、次代へのメッセージとしましょう。

 

 ・ 私は小学生の頃から「太子堂きつねまつり」に参加していました。子供の頃は、きつねまつりの参加

  者もたくさんの子供が中心だった気がします。オリエンテーリングは学区外の場所を回りいろいろな発

  見がありました。そんなきつねまつりの魅力から遠くへ引っ越してしまった子がはるばるやってくるな

  んてこともありました。まちづくりのイベントの度に会う男の子と友達になったりもしました。子供な

  がらにもまちづくりについて考えたり、意見したりし、「大人になったらまちづくり協議会のメンバー

  になろう」と考えていました。

   残念ながら、今は結婚して神奈川に住んでいますが、私は本当に子供や町のことについて真剣に考え

  てくれていた協議会の皆さんに感謝しています。そして今、子供が少ないこともあってか「太子堂きつ

  ねまつり」が行われていないことを残念に思います。子供から大人まで最も参加しやすいお祭りを一年

  に一度開き、住民が一年に一日、太子堂のまちについて真剣に考える機会が与えられる、非常にいいこ

  とだと思います。きつねまつりの復活を期待しています。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(2)二つの視点 その1−住民参加のまちづくり

 

 二つ目の設問は「太子堂まちづくりは住民参加のまちづくりの事例としていわれることが多い

のですが、このような住民参加のまちづくりについてのあなたの率直なご意見を聞かせてくださ

い」といった設問でした。

 それぞれの立場からいろいろな意見が示されました。住民参加のまちづくりの今を考えるヒン

トがあるような気がします。

 

@ 住民参加のまちづくりが切り開いたこと

 太子堂のまちづくりは、住民参加のまちづくりとして注目をあびました。住民参加についての

意見も様々です。まずは、広く住民参加をめぐる意見を紹介しましょう。

 

 ・ 「住民参加のまちづくり」という言葉自体がまだ新鮮な響きをもって語られていた頃、実態として活

  動を開始したのであるから、いろいろと荒削りな面があったことは否めない。しかし、それを差し引い

  ても先進世田谷区として、全国にまちづくりを発信し続けた意義は大きい。

 ・ 太子堂まちづくりでは、まちづくりの様々な局面で住民参加の方式がとられてきたと思っています。

  住民参加を前提として地域の主体性の確立が強く求められているのではないかと思います。

 ・ 「白紙段階から住民と協議して計画をつくっていく」という方法は、太子堂が全国の先駆けで、行政

  計画への住民参加の基本だと思います。一方、地区の防災性を高めていくためには、行政が施策を実施

  するだけでは限界があると思われます。即ち、太子堂の計画は行政計画だけでは不十分だったのではな

  いかと思われます。しかし、当時としては住民参加だけで画期的なことだと思います。

 ・ 住民参加は街づくりに関心をもってもらうことから始まります。その点では一般住民をはじめ商店街

  や子供たちをも巻き込むことを考え努力されたことに敬意を表します。

 ・ 住民参加は街づくりの基本であると考えています。しかし、行政の立場からいえば、街づくりは住民

  の利害に大きく影響を及ぼすため、総論賛成でも実施となると各論反対は当然出てあたりまえだと思い

  ます。時として住民の合意形成に時間がかかるし、時期を逸する結果にもなります。住民参加を基本と

  しながらも時には行政の決断も必要だと感じています。

 ・ 20年というような長期にわたり継続する努力が大変だと思っています。自主的な活動や自主的な参加

  なのですが、毎月出席する実質的なメンバーが増えるまでの努力が重要です。

 ・ 広場づくり、緑道づくりなどそれぞれのできごとに力を発揮される方々がいると思います。つまり折

  々で中心になれる多彩な人材と継続的に全体を考える集まりが持たれていること。さらに新旧住民の方

  々の協力の様子、思いやりに教わることが多かったと感じています。若いものの意見を受け止めてくれ

  る柔軟性も嬉しかったです。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


A 住民参加の悩みと難しさ、そして協議会の限界

 住民参加のまちづくりは必ずしも協議会だけの問題ではありませんが、協議会のあり方が住民

参加の評価を決めてきていることは否定できません。協議会に対する厳しい評価は、住民参加の

悩みや難しさの反映ともいえます。それは、行政発意ではじめられた太子堂まちづくりの抱える

問題点でもあるように思えます。

 

 ・ 太子堂の住民参加の特徴。小学校区程度のまとまり、協議会という固定少数メンバーによる継続的活

  動、行政主導ではじまりその後密接な連携を保持、活動内容は住環境の維持向上がメイン、行政による

  市街地整備事業から住民による地域社会づくりまで。評価する点は、計画参加型の実績を積んで自主実

  行型へ転換したこと。残念な点は、長期にわたるが活動メンバーが入れ替わらないこと。

 ・ 太子堂は住民参加のモデル実験の場として全国的にも注目を浴びていましたが、本当の意味で住民参

  加のまちづくりができていたかは疑問です。評判が先行している気がします。住民参加の条件は会合に

  参加できない人の意見や心を反映していること、行政に頼らない独立性なども不可欠な条件です。

 ・ そもそもまちづくりは住民の総意により住民主体で進められることが理想だと思う。しかし、現実的

  には住民の総意は不可能で、行政が動かなければ解決しないことが多いので、行政や専門家が誘導、支

  援しながら住民参加を展開することになるのだろう。太子堂などの協議会方式は、住民参加の代表的な

  手法となっているが、協議会の意見は必ずしも地区全体の意見ではないことも多い。その限界を受けと

  めて行政が責任をもって地区住民への周知や合意形成を行わなければいけないと思う。

 ・ 住民参加は理屈としては合っていると思うが、消耗はかなり大きいものがあるとも思う。例えぱ、役

  人も住民も逃げがあり、逃げられない同士の話し合いにならなかったり、逃げのきかない事業では成り

  立たない。

 ・ 協議会が長く続くと、協議会メンバーが次第に専門的になって、身近な話題が話しづらくなり、新し

  いメンバーが参加しにくくなるようだ。

 ・ 住民参加は時間と手間のかかることと身をもって実感しました。しかし、参加の途さえ開いていれば

  良いというものではなく、住民も行政も信念を持って、時には本物の喧嘩をしてようやく理解しあえる

  ようになると悟りました。太子堂は区内でも下町的なまちですが、やはり建前や理屈が多い関東型(?)

  で、時には関西風の割り切りも必要だったような気がします。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 住民参加の意義は認めながらも、太子堂での試みに対して首をかしげる人も多くいます。それ

は協議会のあり方についての批判であるとともに、新たな住民参加に向けた模索でもあるように

思われます。また、協議会の自立性と行政への依存に関する意見と、協議会は地区住民を代表で

きるかという意見であるように思われます。

 

 ・ 太子堂のまちづくりは、あくまでも行政側がはじめにしかけた「行政主導型の住民参加」であるため

  に、行政に対して依存度の高い住民をつくってしまい、真の意味での住民参加にはほど遠いまちづくり

  であるように思う。その後のまちづくりは改良している例が多い。

 ・ 住民参加の実践の原点という意味では学ぶべき点は多々あるが、その長年の蓄積が特色あるまちづく

  りの実践に反映されているかは疑問だ。地区住民の日頃感じているまちづくりの意識を掘り起こし集約

  していくのが協議会だと思う。様々な問題を取り上げ、行政に矛先を向けているのは参加といえるだろ

  うか。何かを決めるにしても、協議会は了承するが、改めて関係住民の意見を聞いてほしいという言い

  分はおかしい。

 ・ 協議会は理想的な住民の合意形成の場として機能していなかったのではないか。協議会だけでなく、

  町会などを含めて住民一人一人の生活を大切にするまちづくり活動にしたかった。スピード感のある住

  民参加にするためには、専門的な議論は参加者が固定していないとできないので、協議会の情報を住民

  に流したり、地域の団体をつなげていく役割をもつことが必要だと思う。ドイツの地区協議会では、無

  作為に地区住民の中から代表を抽選で選んでいるが、こうしたやり方も参考になる。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


B 住民参加から住民自治へ

 このような住民参加のまちづくりをめぐる評価のなかで、今後の課題や展望を示していただい

た意見もありました。その共通するキーワードは、住民参加から住民自治へということにあるよ

うです。

 

 ・ 街づくり条例に基づき、協議会方式ではじめた太子堂の住民参加はひとつの時代の大きな成果だった

  と思います。しかし、20年の継続の中で、現状の協議会では今後のまちづくりの展開が難しいのではな

  いかと考えます。協議会に大幅な権限を委譲するとともに、協議会委員を選挙で選ぶようにして代表性

  を持たせる方向性があるのではないでしょうか。住民参加をこえて住民自治の展開に役所は英断すべき

  です。

 ・ 住民参加を関東で最初に本格的に取り組んだ例として注目されたのは理由がある。モデル的に行政主

  導で始め、行政と住民側との対立的構図も変な馴れ合いより、いい緊張関係で継続のエネルギーになっ

  ていたのではないだろうか。全般的に官僚主義化へ社会が進んでいる中で、どのように協議会の独立性

  を保ち、主体的なまちづくりへ展開していくか、住民参加から住民主体へという転換を保証する基盤づ

  くりもこれからの大きな課題となろう。

 ・ 太子堂のまちづくりは大きな意義がありましたが、18年余の経過から住民の方々も一部交替したり、

  行政の担当者も何代も替わっていく中で、住民参加も多少風化しているように見受けられます。ここに

  住んでいる人がどうやって安全に楽しく幸せに暮らせるのか、様々な立場からもう一度原点にかえって

  考え直す時期にきているように思われます。

 ・ 住民参加は、住民、事業者、行政が協働連帯する新しい公共を構築するにあたって、これを統合調整

  する政治の主体になりうるかどうか、その意味ではこれからが正念場であろう。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 最後に、住民参加の持つ意味の確認とその成熟のために必要な視点を整理した意見を紹介しま

しょう。

 

 ・ これからの市街地整備は住民参加が当然になると考えています。しかし、住民参加のまちづくりは、

  個々の住民の意見や賛否で定まるものではありません。みんなの意識が結集・昇華した地域合意が形成

  される過程があってはじめて成立すると考えています。そのためには参加する住民の主体的成長が不可

  欠です。太子堂まちづくりで生み出した協議会方式とイベント(まち遊び)は、20世紀が誇るべき発明で

  あるといってよいでしょう。

 ・ まちに暮らす中で起こる様々な問題は、行政だけでも解決できないし、また住民だけでも解決できな

  いとつくづく感じます。単に「行政にもの申す」や「法律で決まってます」ではなく、「だったらどう

  したらいいの?」を考えるステージがあることで、お互いに言いっぱなしにならず、言ったことに責任

  を持ちながら話ができる気がします。そのステージが住民参加なのかなと…。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(3)二つの視点 その2−修復型まちづくり

 

 三番目の設問は修復型まちづくりについてでした。「太子堂まちづくりは防災を目的とした修

復型まちづくりといわれています。少しづつ改良を積み重ねる修復型まちづくりについてあなた

の率直なご意見を聞かせてください」といった設問でした。

 やや回答しづらい設問かとも思いましたが、いろいろな意見が示されました。

 

@ 修復型まちづくりの発想と意義

 まずは、修復型まちづくりとは何であるか、何であったのかに関しての意見を紹介してみまし

ょう。

 

 ・ 恐らく住み続けることは、それを行政の手であるか住民の手によるものかは別として、修復型のまち

  づくりを続けることを意味するのだと思いますので「修復型」は最も基本のまちづくりです。ただ、ち

  ょっと気になるのは防災を目的としたということです。防災はそこに守るべき価値があってこそ意味が

  ある概念ですので、正確には「防災を手がかりとした」という意昧がふさわしいと思います。

 ・ 太子堂では特にですが、コツコツやるしかないと思います。でも、防災を目的とするというのはわか

  りやすいですが、もっとデザイン的なもの(人にやさしい、子どもが遊べる、雰囲気のある、緑豊かな)

  を建て替えなどの時に考えてもらえるような活動があればよかったと思います。

 ・ 自分が育ったまちは、自分の記憶、アイデンティティの一部で一生の間に総入替えになるのはたまっ

  たものではないように思います。感覚的で根拠はありませんが、せめて半分ぐらいは変わらずに残って

  いてほしいと思います。また、最近は、エネルギーや資源の視点からも廃棄物とならない、出さないま

  ちが求められています。修復型を進めるべきだと思います。

   修復型のまちづくりは、地域の社会構造を大きく変えることなく既存の蓄積を生かしつつ環境を向上

  させていくことだと思う。少なくとも、その方法でまちが生き続けることができる限り、修復型まちづ

  くりの有効性は失われないと思う。

 ・ 「生活する人があってこそ街は存在する」という前提があるから、人々の暮らしの継続性を保ちなが

  (土地の記憶や歴史を踏まえて)今の時代、次の時代に対応する機能を街の中につくりかえるという手

  法は大切だと思う。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


A 修復型まちづくりの評価

 しかし、修復型まちづくりも実践していくとさまざまな壁にぶつかりました。特に、行政の担

当者は、制度の壁もあり苦労が多かったように思われます。それらの意見を代表したまとまった

コメントを紹介しましょう。

 

 ・ 修復型まちづくりは、科学的、方法論的には正しいと思う。その場合、条例に唯一根拠をおく「まち

  づくり協議会」がどれだけ町の多様な意見を吸い上げることができるかが問題となるが、現実には協議

  会は正しく潔癖すぎた感があり、広範囲なものとならなかったきらいがあった。

  ・新規のものや再開発等のリニューアルされたものも、年月が建てば汚れもでるし、維持管理もかかる

   のでトータルに見れぱ費用対効果はあまり変わらないように思う。

  ・任意のまちづくり計画を地区計画として裏打ちした時点で、計画的に前進する修復型事業となった訳

で、新規開発型か修復型かは事業のやり方の相違でしかなく、太子堂のような地域では基本的に修復

   型しかなかったように思う。

  ・費用対効果の基準に何を置くかで評価が異なるが、行政が公権力を行使するのは安全の確保であるの

   で、目的が防災であることも当然である。

  ・ただ、街の美しさ快適さ等を規範とする街づくりがあればうらやましいと思うが、人々の本音とする

   部分と行政の建前が若干ずれている感じは当然かなと実感していた。経済効果を人々は望んでいなか

   った。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 それでは、具体的に修復型まちづくりの間題点を整理してみましょう。

 

 ・ 修復型は建て替えの時期にあわせて無理をせず進めるということで住民の理解は得られやすいが、阪

  神大震災のような予測のつかない災害から街を守り、住民の安全を確保するという点では不満が残りま

  す。道路整備など期限を限定した事業手法も併せて推進する必要があると思います。

 ・ 担当していた時期は修復型に全面的に賛同していましたが、今は少々違います。修復型事業は法的な

  しばりが緩く、その代わりに臨機応変に対応する日々の工夫や提案が求められます。行政も人や組織の

  異動等で継続性や一貫性が失われることになると、修復型の良さよりも弱点の方が多く出てきます。広

  場は増えたが道路整備が十分でないのはそのせい。

 ・ 行政からみた修復型まちづくりの利点と欠点

   利点:住民のコンセンサスが得やすい、様々な状況変化に応じて見直しが可能、各年度における財政

       負担が少ない。

   欠点:成果があらわれにくい、時間や手間がかかる、最終目標や事業としての終わりが見えない。

 ・ 修復型まちづくりについては「いったい何年かかるのか」といった批判があるが、効率の視点のみか

  らいえば非効率かもしれないが、それだけではない、時代にあった反応の早いまちづくりが可能など

  「必要な」手法だと思う。担当者としても強制ではなく一人ひとりに理解を求めていくことに面白さを

  も感じる。このような手法を永続的に支援できる自治体でありたいと思う。

 ・ 修復型まちづくりは、住み手である住民にとっては人に優しいまちづくりだと思います。しかし、こ

  れまでの20年間、多くの資金と時間をかけた割に、見栄えのする成果が見えにくいなどの盲点があるた

  め、現在のような財政的にも厳しい時代になると、ミニ区画整理等の手法で一気に整備する方向に向き

  やすい状況です。太子堂のまちに散らばる「まちづくり用地」は住民の財産です。どのように使うかを

  真剣に考えなくては、区に売ってくれた方々にも申し訳が立たないと思います。

 ・ まちづくり事業による成果を住民自身がどう評価しているのか、住民自身が認識する方法が見られな

  い。修復型を選択しているが、災害から身を守るため、まちの危機感を感じて一刻も早く改善に取り組

  んでいくという実感が感じられない。いわば総合感冒薬を投じて直そうとしており、直したいところを

  明確にし、そこにだけ集中して投薬するといった考え方が存在していない。

 ・ 修復型まちづくりは、区画整理や再開発等ができない地域でのまちづくり手法として有効であった。

  しかし、成果が出るまで時間を要すること、国や都の補助事業が成果を要求することなどがあり、住民

  と行政が協働で行うまちづくりの取り組みと、事業のバランスが合わないことがあり、行政の担当者は

  苦労していた。例えば、密集事業の終了はまちづくりの終了ではないはずであるが、行政にとっては同

  義語で語られがちであり、これまでと違った評価をどう構築するかが鍵かなと思っている。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 このように修復型まちづくりは、既成密集市街地の整備のための手法として適切な選択であっ

たという評価がある反面、いろいろな問題点を抱えるということも事実です。このような評価を

超える視点や手法が求められているわけです。

■修復型まちづくりの問題となる点

・時間や手間がかかりすぎる。その費用対効果という点で疑問が残る。

・成果がなかなか見えない。補助事業等の要求に応えられない。

・緊急対応のことがらに対応できない。適切でない事業もある。

・エンドレスである。どこまでが目標なのかが判断しづらい。

・常に創意工夫をしていかないともたない。一貫性、継続性が重要となる。

■修復型まちづくりの評価できる点

・既成市街地の構造に見合っている。人々の暮らしに馴染みやすい手法である。

・臨機応変に柔軟に対応できる。創意工夫を発揮することができる。

・人々の理解を得やすい。人に優しい。

・時代の変化に対応しやすい。新しい発想を反映できる。

・継続的な住民参加を前提としている。誰のためのまちづくりかを意識できる。

 

 ・ 行き止まりを解消した通り抜け部分を通る度に、用地買収の交渉、補助金の申請、予算の獲得、整備

  担当課との打ち合せ等、整備に関わった職員の人数や手間を思い浮かべて感動しています。「塵も積も

  れば山となる」ではないですが、解消された行き止まりによって日常の面倒さがなくなり、災害時の安

  全性も大分向上したと思います。

   でも、修復型では対応できない部分が、そろそろあぶり出されてきたように思います。同時に建て替

  えのサイクルである30年経った頃にどうなっているのかが楽しみです。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 


B 修復型まちづくりの行方

 このように、修復型まちづくりは既成の密集市街地の整備手法としては、理念的には正しいと

いえますが、実践的にはいろいろな問題点があることがわかりました。これらの克服が今後の課

題ですが、もう少し大きな視点から修復型まちづくりを考えることも必要かなと思います。

 

 ・ とかく行政は物的施設の整備が重点になるが、それも行政の性格からくるもので限界でもあろう。こ

  のようなまちづくりは、行政の限界をこえて、物と物、物と人、人と人との総合的な調和が重要であり

  社会構造の再編の小さいけれども「論より証拠」[演繹(えんえき)から帰納へ」の変革を確実にするもの

  であると思う。

 ・ 東京のまちづくりで一番重要なのは、現在人が住んでいる既成密集住宅地の整備である。人が住んで

  いるため、合意を得ることや、修復・整備・保全に時間とお金がかかることや、成果を急ぐ立場からみ

  ると取り組みづらいところから敬遠されがちであるが、21世紀に向けた有限の土地や空間を公平に有効

  活用するためには、「太子堂まちづくり」のようなまちづくりが大切である。国も都も、これまで様々

  な支援をしてきたことは認めるが、縦割り的な支援ではなく、建設・住宅・福祉・環境等の対策の視点

  から、総合的な財政援助や住民活動の支援が行われることが望まれる。

 ・ 土地区画整理事業や市街地再開発事業には向かないが何とかしなくてはいけない町に対して窮余の一

  策として生み出された「修復型の防災まちづくり」だが、20年の時を経てある程度正解だったと思う。

  しかし、いつも少しずつ知恵を出していないと、マンネリに陥り、人も金も息が続かなくなる。新しい

  風、新しい人に期待したい。

 ・ 修復型まちづくりは、ひとつの手法として確立したといえるでしょう。ただし、当初はスクラップア

  ンドビルド型と修復型はかなり区別がはっきりしていましたが、現在は境界があいまいになっている気

  がします。修復型でも小規模区画整理や共同化はありますし、道路整備を路線ごとに一挙に整備するこ

  ともあります。

 ・ 「街づくり」と「まちづくり」を分けて考えるべきだ。木賃のような補助事業はまちづくりの手法で

  あって、それが目的化してはいけないと思う。ハードだけではなく、ソフトも含めて地域で一緒にやる

  という思いが滲み出る仕事がしたい。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 最後に次のメッセージで結びたいと思います。

 

 ・ 成果主義的発想、とりわけ効率性を求めるコストパフォーマンス的評価基準からみると「成果がなか

  なかあがっていない」と批判されがちであるが、コツコツと小さい改善を積み重ねてきた総体としての

  評価や目に見えない部分の成果(ソフトの活動や住民のまちづくり意識)の評価、またコミュニティ形成

  や後々の管理運営など長期的視点からの評価も必要であると思う。特に、20年も継続してきたことはす

  ごいことである。

   震災など緊急な事態も想定しうる課題に対して生ぬるいという批判もあり得るが、スクラップ&ビル

  ドで一挙にやってしまおうとしても、結局は時間がかかり(例:大阪阿倍野の再開発など)、何よりも地

  域の文化やコミュニティを消滅させてしまうことの方がおそろしい。太子堂には修復型まちづくりがふ

  さわしく、さらに漸進的にまちづくりが進められることを期待したい。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(4)太子堂のまちづくりを考える

 

 最後の設間は「その他、太子堂まちづくりに関連してあなたのご感想やご意見があればお聞か

せください」という設問でした。多くの意見が寄せられましたが、それらを綴っていくと、太子

堂まちづくりの脈絡が見えてきます。

 

@ まちづくりの学校としての「太子堂まちづくり」

 太子堂のまちづくりに関係した多くの人々が共通して指摘することは、「大変勉強になった」

「まちづくりを考える大きなきっかけになった」ということです。前例のない住民参加のまちづ

くりや修復型まちづくりの取り組みに伴う試行錯誤のプロセスが生み出したことでもありました。

それは、反面教師ということも含めて太子堂のまちづくりが「まちづくりの学校」の場でもあっ

たことを意味しているようです。

 

 ・ 準備会時代から太子堂まちづくり協議会に参加して、いろいろなことを学ばせていただきました。仲

  間と考えていた地域での実践も協議会が存在しなければ展開できませんでした。「トンボ広場」「きつ

  ね祭り」「タウンオリエンテーリング」「烏山川緑道再整備」などはとりわけ思い出の深いまちづくり

  活動でした。

 ・ 太子堂は私にとっては、まちづくりの現場でいろいろ教わった先生ともいえるまちです。

 ・ まだ何でも吸収できた年代に、全国的にも注目された地区を経験できたことは現在でも自身の財産に

  なっています。太子堂の経験がきっかけで資格(技術士)を取得できたことにも感謝します。

 ・ 課長としてはじめて携わった仕事であり、やる気のある職員と一緒に仕事をやることができ、自分が

  生涯やりたい仕事を具体的に実感することができた幸運にも感謝します。太子堂まちづくりを支えてき

  た住民の持続する志について尊敬するとともに、支えてくれたコンサルや同僚・職員に深く感謝します

 ・ いろいろ厳しい意見を言いましたが、本音をいえば太子堂まちづくりを体験することで、実にたくさ

  んのことを学ばせていただき感謝しています。協議会の中で立ち上がって口から泡を飛ばしあいながら

  の激論を戦わした思い出も、住民の方とそこまで真剣にお互いの本音を言い合える付き合いができたと

  も言える訳だし、何年たっても太子堂のまちを歩くと声をかけてくださる方がいたり、目分にとって、

  まちづくりの原点(ふるさと)がやはり「太子堂まちづくり」なのかなあと今しみじみ感じています。現

  在は、もっと「本物のまちづくり」を進めたいという思いで取り組んでいます。

 ・ 「太子堂まちづくり」は私にとって北沢地区と並んで「まちづくり」とは何かを教えてくれた地区で

  ある。それまでの私にとって、住民のための行政というときの「住民」とは私たち公務員が税金で生計

  をたてていることを理由に「なにかを一方的に要求してくる人」のことであった。そのような考え方で

  は、住民と一緒になって「まちづくり」をすることに抵抗感がある。協議会の事務局として活動するう

  ちに私たちはまちづくりのプロであり、住民とともに成長していくものであるとの確信を得ることがで

  きた。これは、その後、仕事をしていくうえでの私の財産であると考えている。

 ・ @まちづくりハウスと呼ぱれるプレハブの拠点があったことが重要だったと思います。A地区に住ん

  でいらっしゃる人々で、素晴らしい人材が発掘されたことも大きな成果でしょう。B地区外の人々も多

  く地区内に入り込み実験的に様々な企面やイベントを持ち込んだ事も、居住者にとってよかったのでは

  ないでしょうか。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


A 修復型まちづくりの今後の課題

 太子堂まちづくりは修復型まちづくりといわれています。修復型まちづくりについては、⑶の

ところで様々な意見を紹介しましたが、今後の課題として整理すると次のことが指摘されていま

す。

 

 ・ 修復型まちづくりは、時間と手間がかかり成果があらわれにくいため、評価がわかれるところだと思

  います。しかし、まちづくりとはそもそもそういうものだと思うのです。例えば、再開発や道路拡幅事

  業をしたとしても、そこに住む人がいる以上、まちづくりはそこで終わらず続いていくのです。例え、

  その時代には最良の計画だったとしても、時代の変化とともに修復の必要性は生まれてくるはずです。

  大切なのは、そこに住む人たちが自分たちの住む街に愛着を持ち、自分たちの手で自分たちの理想とす

  る街にしようとする力なのだと思います。太子堂には、これまでの活動を通じて、その力が十分蓄えら

  れたと思います。是非、この力をいつまでも持ち続け、修復型まちづくりの大切さを次の世代にも受け

  継いでいってほしいと願っています。

 ・ 先日、ひさしぶりに太子堂を歩いてみました。印象として、建て替え更新力の強さ、多すぎるほどの

  ポケットパーク、使い道が見えないまちづくり用地、相変わらず狭いままの地区の主要道路などがあり

  ました。まちづくり開始から5〜10年後位にモデル地区での進め方から継続・持続的なまちづくりへの

  転換を検討すべきでしたが、その時期にバブル、その後のバブル崩壊に見舞われたことも転換時期を逸

  することになったのでしょう。

 ・ 太子堂のまちづくりは当初最大のテーマは防災でした。現在、その問題は解決したわけではありませ

  んが、太子堂地区だけが特別に危険という状況ではなくなってきました。むしろ地区の問題では、単身

  者の増加、高齢化といったコミュニティの課題の方が深刻化していくでしょう。これらの課題こそ住民

  参加ではなく住民主体で解決すべきでしょう。

 ・ まちに限りませんが、何かものをつくるとき、建物であれ都市であれつくるための指標があります。

  行政側が示す指標は、何らかの数値目標として示されますが、それらとは違う新しい指標を加えていく

  ことが、これからのわかりやすいまちや住まいづくりに必要なのではないでしょうか。その指標は、数

  値では表わしにくい人の心に働きかけるものだと思います。体験、環境、心象…。太子堂のまちをみる

  と、防災の目的からいうと結構達成されてきたような気がしますが、もうひとつの指標が以前より減っ

  てしまった気がします。

 ・ 定点変化の調査で太子堂を歩いてみましたが、旧村のあたりの屋敷林や緑が随分なくなって淋しく思

  いました。もし、私が太子堂に住んでいるなら悲しいなあと思います。そういう「良さ」を大事にする

  活動をもっと頑張ればよかったなあと思います。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 また、修復型まちづくりによる事業展開の今後の課題として次のことが指摘されました。

 

 ・ 「密集住宅市街地整備促進事業」は、緊急かつ重要性がある問題として認知され急がなければならな

  い課題として、国や都が補助事業として制度をつくり支援してくれているものである。しかし、住民の

  意向を尊重することが重くのしかかり、意にそぐわなければ実施しないというやり方では、緊急性を要

  する課題とは言いがたい。緊急に実施することを要するため、事業者が一時的な財政負担を強いられる

  ことについて、軽減を図ることを目的としており、じっくり「合意」を得るまで待てるのであれば、誘

  導による方法をとれば足りるものである。

 ・ まちづくりは、そこに人が住む以上限りなく続くものと思われます、私の提案は、まちづくりはマク

  ロとミクロと両方から行われなけれぱならないと思います。周辺地域を含めて、合同でこれからのまち

  づくりについて話し合いをすることは大変有意義であると思います。

 ・ 道路拡幅、小広場の整備、建て替えの促進などのまちづくりと併せ、ソフトの面、例えば災害時の相

  互協力(障害者・寝たきり老人の救出等)をどうするか、既存の施設(防火水槽等)の維持管理(防災訓

  練参加)などを通して住民の理解と協力を得て参加の輪を広げていくことが大切だと思います。

 ・ 行政の立場として、いくら立派な計画を立てても実現不可能なものでは説得力がない。通り抜け路、

  道路拡幅、建て替え、広場整備など実現した現場を見せることが次のまちづくりにつながっていくと思

  っている。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


B 住民参加のまちづくりの更なる発展のために

 協議会活動のあり方を含めて、住民参加のまちづくりの今後の発展に向けた指摘も多く出され

ました。今までの意見に加えて次のことがあげられています。

 

 ・ 太子堂のまちづくりは協議会のパワーを感ずる。そのパワーを大切にしてほしい。協議会と区役所は

  仲間でもある。役人はなかなか信用してもらえない立場にあるのはしかたがないとしても、住民に対し

  てウソを言わないことが大切だと思う。一方で、協議会は、出席している役人に「答弁」を求めたりす

  る「ミニ議会」のような雰囲気にしないことにも留意してほしい。

 ・ 協議会は、どうしても各論に入っていくと専門的になり、出席者も関心のある住民、利害に関係する

  住民に絞られて、一部の住民達の活動と見られがちになってしまう。結果的に参加者が限られ、行政と

  して地域住民の声を聞く場になっていない。また、関心があって途中から参加する住民は議論について

  いけず次第に足が遠のく結果となっている。

 ・ まちづくり協義会も広く参加を呼びかけるためイベント等の企画、ニュースの発行等により住民の関

  心を高める努力をしていたが、もっと広く輪を広げること、他の団体にも積極的に参加していくことが

  大切だと思う。例えば、学校協議会、防災地域活動団体、町会、商店会など幅広い交流が必要である。

 ・ 「街づくり」から「まちづくり」の段階にきて、協議会は合意形成の場なのか、まちづくり活動団体

  の組織なのかが問われている。行政も住民もその時々で使い分けてきた面があるが…。将来的には、協

  議会がまちづくりの情報を住民に流すNPOとなることも考えられる。

 ・ 将釆、社会状況の大きな変化により、地域の構造を大きく変えなければ対応できない場面があるかも

  しれない。その時も住民参加の延長上でまちづくりに係わる方式は有効と考える。また、不断に継続し

  ていかなければならないと思う。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 太子堂まちづくりの経験から住民参加を考える上で、大きな示唆を与える意見もありました。

太子堂が生み出した方式でもあり、今後も継承していく方式でもあります。

 

 1)机上で話をするより現場で身体を動かしながら進めること

   毎月の会合に参加していると話が専門的になったり、特定の問題での議論に終始すると、議論につい

  ていける人は限られてきて参加者が減っていくことはどこにも見られます。もっと現場で具体的に参加

  者が見て感じたことを確認して問題を共有する方法が重要だと思います。歩こう会、きつね祭り、トン

  ボ広場・緑道整備にはそういう方法が取り入れられました。そんな場では、室内の会議とは違った活躍

  をする協議会の方々が頼もしく見えました。また、このような姿をまちの人に見せることが関心を呼ん

  だり信頼を得ることになるかなと思います。

  2)子どもたちの参加を求めること

   まちづくりを自分達の問題として関わるような市民を育てるためには、子どもの時期からまちづくり

  に関わることが重要です。子どもだからといって相手にしないのではなく、まちの情報で子どもたちか

  ら教わることも少なくありません。そういうことから太子堂では子どもたちをいろいろなイベントに巻

  き込むことを進めましたが、最後の方は子どもを集めるのに苦労しました。現在の子どもを取り巻く状

  況は子どもの参加を難しくしていますが、学校教育との連携などにより子ども参加のまちづくりの継続

  が期待されます。

  3)協議会と町会とのゆるやかな関係から新しいコミュニティ形成へ

   太子堂地区はいくつかの町会にわかれ、町会との関係にはいろいろ苦慮してきました。しかし、現在

  の社会状況は、居住者には地域の帰属意識が薄れ、隣は何をする人ぞと近隣関係も崩壊し、自分のこと

  や家族のこと、気のあう仲間のことしか頭にないという現象が進行しています。町会がコミュニティか

  協議会がコミュニティか?と言い切れない状況のなかでどのように新しい地域社会をきずいていくかが

  問われています。両者のゆるやかな関係で幅広い層の住民を巻き込んで、地域の課題に対処していくこ

  とが期待されます。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


C これからのまちづくりへの提言

 20年に及ぶ太子堂まちづくりの教訓から、これからのまちづくりのあり方を、多くの方から展

望していただきました。太子堂まちづくりの問題点を克服し、成果を発展させるための提言でも

あります。

 

 ・ あれから20年近い年月を経て、現在修復型まちづくりについて思っていることがあります。修復型ま

  ちづくりは、「計画の担保をどうするか」「事業の終了をどう考えるか」といった点について、開発型

  まちづくりとは異なる事業の進め方、担保、目標設定の手法を考えるべきと思います。太子堂のまちづ

  くりなどの歩みがあって、各地で修復型まちづくりの可能性が広がったと思います。

 ・ 今、まちづくり先進地区は難しい時期にきています。財政悪化、市街地整備や活動支援の打ち切り、

  まちづくりメンバーの少数高齢化、行政職員の使命感や資質低下などです。この持続と展開のための方

  向を見いださねばならない時期にきています。それに際して、太子堂まちづくりが生み出した、まちづ

  くりを楽しくやろう、個人の特技を生かして無理なくやろうなどの教訓は重要な手掛かりになるでしょ

  う。今後とも一層質的に充実したまちづくりが進められることを期待するとともに、一緒に勉強させて

  いただきたいと思います。

 ・ 私が太子堂のまちづくりに関わってから10年が経過していますが、その間、阪神淡路大震災があった

  こと、NPO法ができたことにより、かなり状況が変化してきたと思います。その状況の中で「協議会

  方式」の限界も見えてきて、そろそろこれに変わる新たな方式はないものか、と考えています。建物を

  修復・開発し、その運営も行う「市民型デベロッパー」が修復型のまちづくりを行っている地区で誕生

  しないか、と期待しています。

 ・ 太子堂まちづくりは、公園や広場、細街路等整備を行政が、住宅の不燃化や改善を住民や事業者が、

  また地域のルールづくりを住民と行政が、協力しながら行ってきただけではなく、公園や広場を活用し

  たイベントなどで、住民相互の交流や住民と行政との交流によるコミュニティの育成も図られてきた。

  これらの成果を踏まえて、もう一度この地域の将来展望をもとに、まちづくり計画の見直し、行政と住

  民のつきあい方、住民協議会の活性化について議論することが必要である。住民も行政側もこのまちに

  愛着を持ち、夢を持って活動していただければと願っています。

 ・ 東京23区が区長公選復活後競争で街づくりに取り組みはじめたモデルプロジェクトです。経験も知

  識も足りない中から試行錯誤を積み重ね、全国的にも知られる「まちづくり」に成長したことは、まさ

  にまちの皆さんと行政の努力のたまものです。「まちづくり百年の計」からすればようやく五分の一。

  認知度は高くとも参加者は延べ五分の一程度でしょうか。まだまだやる気の人達のがんばりと結束、行

  政の後押しが必要と思います。しかし、区内には同様に力を入れなければならないまちが多くあり、行

  政の重点的投資は昨今難しくなる一方です。「金のない奴は知恵を出せ、知恵のない奴は汗をかけ」と

  いった先輩がいますが、今がまさにその時かもしれません。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おわりに

 

 以上が関係者の証言からみた「太子堂まちづくり」の総括です。このまちづくりに関係された

方の立場や時期などによってとらえ方に多少の違いがありますが、どの意見も大変暖かく重たい

ものとして受けとめたいと思います。ありがとうございました。

 太子堂のまちづくりは、まだまだ現在進行形です。さらに新たなまちづくりの課題も登場して

います。住民(協議会)も行政もそれぞれまちづくりを進めていく上で、厳しい状況を迎えつつあ

りますが、今回、ご協力していただいた方々の様々な視点からの貴重な意見は、今後のまちづく

りに大いに参考になると考えます。

 最後に、太子堂で行われたきつねまつりで「竹トンボおじさん」といわれ、長期にわたって太

子堂まちづくりに暖かい眼差しを注いでいただいた前世田谷区助役である故川瀬益雄氏の「新し

い公共論」で結びたいと思います。

 

   市民参加(参画)は、市民が企業や行政と対等な力量をもつ政治主体として成長しうるかど

  うかが主要な課題である。

   そのためには、組織力、財政力、経営力が保障されなければならない。主体性を確保する

  手法を開発することが今後の問題点であろう。かつて財閥は政府によってその力量を獲得し

  たが、その為に企業と政府の一体化という今日的矛盾を抱え込んだ。その轍を踏まぬために

  も、住民・企業・行政の独立対等という地位を展望しつつ先進諸国の事例に学び主体的力量

  を高めていかなければならない。21世紀はそのための努力をすべき時代なのではないか。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


      ■このアンケ一トにご協カいただいた方々(平成123月現在)■ 

      【世田谷区関係者】50音順(敬称略)

安藤 武男  (世田谷区世田谷総合支所街づくり部街づくり課街づくり担当係長)

大塚 順彦  (財団法人世田谷区都市整備公社理事長.前世田谷区助役)

小田切利栄  (財団法人世田谷区都市整備公社まちづくりセンター)

川瀬 益雄  (前世田谷区助役.故人)

折戸 雄司  (財団法人世田谷区都市整備公社まちづくりセンター所長)

春日 敏男  (世田谷区政策経営室政策・都市づくり担当課長)

小西 恭一  (東京都都市計画局開発計画部再開発計画課長)

戸辺 文博  (安井建築設計事務所)

松村 浩之  (世田谷区建設・住宅部営繕第一課事業調整係主査)

丸山  泉  (世田谷区烏山総合支所街づくり部土木課計画調整係長)

八頭司達郎  (世田谷区助役)

山口 浩三  (世田谷区砧総合支所区民部地域振興課長)

渡邉憲四郎  (株式会社世田谷サービス公社取締役)

 

      【地区外居住者及び専門家・協力者】50音順(敬称略)

内田  仁士  (太子堂4丁目在住)

卯月  盛夫  (早稲田大学教授)

大熊  喜昌  (都市計画プランナー)

荻原  礼子  (結まちづくり研究室)

奥村   玄  (都市農村計画研究所)

加納  好昭  (太子堂4丁目在住)

川辺  奈美  (川崎市在住)

木下  勇  (千葉大学助教授)

佐谷  和江  (計画技術研究所)

佐藤由起子  (三宿1丁目在住)

松尾  初美  (ペンギンデザインオフィス)

村上美奈子  (計画工房)

吉川      (都市計画プランナー)