住民参加のまちづくり、25年のあゆみ 

 

 

1-1 まちづくり協議会

 

(1)協議会の発足

 太子堂2・3丁目地区まちづくり協議会は、昭和57年(1982年)に発足して23年が経過しました

が、ある日突然にできたわけではありません。発足にいたるまでに約2年間にわたって様々な議

論がありました。

 当初、区では新しいまちづくりの方式として、住民参加によるまちづくりを実践しようと、昭

55年から地区の様子やまちづくりの考え方を広く住民に知らせるために「まちづくり懇談会」

を7回ほど開催しました。しかし、はじめのうちは、まちづくりに対する区と住民との考え方の

違いが目立ちました。

 懇談会での意見交換が1年ほど経過した頃、住民参加のまちづくりを推進するためには、地区

の様々な問題を定常的に討議する母体となる組織(協議会と呼ぶことにしました)が必要という問

題提起が区からありました。特に、住民参加によるまちづくりを進めていくためには、協議会を

組織して集中的かつ段階的に討議を積み重ねていく必要があるという考え方から発意されたわけ

です。懇談会だと参加者が毎回入れ替わり、討議の内容も繰り返しになるという問題もありまし

た。結果的に、協議会をつくることには、住民の大半が賛同しましたが、そのあり方については

意見が百出しました。

 そこで、住民有志が集まって、「まちづくり協議会設立準備会」が発足しました。協議会は何

を目的とするところなのか、どんな風に運営していくのか、誰が参加することが良いのか、会則

をどうつくったらよいのか等々について討議されました。現在では、全国各地で協議会のような

組織が誕生していますが、当時はまだあまり事例がありませんでした。そのために、組織のあり

方については理想と現実の間でいろいろな意見がありました。約半年にわたる準備会の討議の結

果、会則の案がまとめられ「自由に誰もが参加できる協議会」という考え方でいくことになりま

した。このような考え方は全国でもはじめてであったようです。

 そこで公募という方法で、メンバーの募集を行いました。地区外に居住する方で参加を希望す

る方もありオブザーバーも参加できるという考え方を採用しました。その結果、60名以上の参加

を得ることができました。昭和57年11月、「太子堂地区まちづくり協議会」が発足しました。

     ※なお、名称は、その後隣接地区でも協議会ができたため、「太子堂2・3丁目地区まちづくり協議会」と改称されました。

     

 当初は、メンバーの自己紹介や会則の決定、役員の選出や運営方式、さらに概ねのスケジュー

ル等、協議会運営の手続きを巡っての討議が繰り返されました。

 協議会は原則として、月1回のペースで開催され、必要に応じて運営委員会等を開いていくこ

とが決定しました。

【協議会発足まで】

【太子堂2・3丁目地区まちづくり協議会 会則】

 

 

(1)協議会の性格

 太子堂2・3丁目地区まちづくり協議会は、その会則にもあるように、いくつかの特徴を持っ

ています。20年近い時間の経過のなかで紆余曲折はありましたが、この特徴は今でも変わってい

ません。

【会の役割】

①住民の声を背景にまちづくりを話し合う場とする。

②まちづくりに必要な調査・研究を行う。

③まちづくりの計画案をつくり区長に提言する。

④その他、まちづくりの活動を進める。

【まちづくりの目標】

①防災性能の向上をはかる。

②快適な居住環境の形成をはかる。

③文化的なまちづくりを推進する。

【メンバーの構成】

①太子堂地区及び周辺の関係者は誰でも自由に参加できる。

②地区外の方でも希望があれば、オブザーバーとして参加できる。

③会は原則として公開とする。

 このような形で、協議会はスタートしたわけですが、この協議会の存在を区として制度的にバ

ックアップしたのが、昭和57年に制定された「世田谷区街づくり条例」です。街づくり条例は、

区民と区との協働作業として、住民参加によるまちづくりを制度的に位置づけたものです。

 特に重点的にまちづくりを進める地区を、区議会の議決で「街づくり推進地区」として指定し

て、積極的にまちづくりを推進することになりました。また、地域のまちづくりを進める組織

(協議会)を、住民の多数の支持がある場合に「認定協議会」とし、協議会に対する支援や協議会

からの提案を尊重することを定めています。

 太子堂地区のまちづくりは、この「街づくり条例」によって進められてきました。昭和59年4

月に「街づくり推進地区」に指定され同年10月に「認定協議会」に指定されました。

     ※その後、平成7年4月の世田谷区街づくり条例改正において、協議会の認定制度が廃止されるにともなって、認定協議会ではなくなりました。

     

 

 

1-2 太子堂まちづくりの特徴

 

(1)修復型のまちづくり

 太子堂のまちづくりは、「修復型のまちづくり」と言われるものです。これは、個々の建物の

建て替えをきっかけに、できるところから徐々に道路づくり、広場づくりなどのまちづくりを進

めようという考え方です。長い間かかってまちづくりを実現していこうという方法ですから、区

はもちろん住民の主体的取り組みが不可欠です。また、将来どんなまちにしていくのかを、住民

・区双方が理解しあっていなくてはなりません。

 そこで、区は、まちづくりの当初から住民参加の修復型まちづくりを呼びかけ、まず、まちづ

くりの計画を住民の手でつくってほしいと要請しました。協議会は、この考え方を受け入れ、学

習会からはじめて、地区住民の関心を高め、意見を反映しながら、計画づくりに取り組むことに

なりました。

 

【修復型まちづくりのイメージ】

 

(2)太子堂まちづくり年表

 

 

 

 

1-3 協議会活動、主な取り組み

 

(1)トンボ広場

 太子堂のまちづくりの特徴のひとつに、多くのユニークな小さな広場の誕生があげられます。

これらの広場づくりの最初の取り組みとなったのがトンボ広場でした。ふれあい広場の近くの一

宅地を区が用地取得し、広場をつくることになりました。そこで、太子堂らしい広場づくりを進

めようと協議会の有志と周辺住民が参加して広場づくりの話し合いがはじまりました。その結果、

「手づくり」「土を残す」「自主管理」といった原則が決められ、トンボ広場が誕生しました。

 昭和59年4月の完成後には、「トンボ広場を育てる会」が組織されました。小さな広場ですが

多くの人々の努力によっていつもきれいに管理され、みちゆく人々の目を楽しませています。春

には花まつり、秋には収穫祭、年末にはもちつき大会が年中行事となり小さな広場からはみだす

ようなイベントが開かれています。

 整備前と整備後のトンボ広場
 
 トンボ広場の名称は、昔、とんぼが多かったので命名されました。

 
 同じような広場に、メダカ広場だんだん広場すずむし広場等があります。また、地区外の

人々も参加したワークショップ(「パークショップ」と呼んでいます)によってアイデアを集めて

誕生したのがかどっこ広場アメンボ広場です。

 太子堂には、小さいけれどユニークな広場が沢山あります。(Ex.さくら広場

 

(2)烏山川緑道

 協議会のまちづくり中間提案に「烏山川緑道の再生とせせらぎづくり」が提案されました。

 それを受けて区が計画の検討をはじめたところ、緑道沿いの住民から反対意見が出されるなど

の問題が起きました。

 そこで、協議会では「広場・緑道部会」が、周辺住民をまじえて計画案の検討をはじめること

にしました。当初は、対立的な意見が目立ちましたが、集まって現在の問題点やアイデアを出し

合ったり、他地区への見学や現場での点検、さらには子どもシンポジウムを開催したりして討議

を積み重ねました。

 太子堂のまちに見合った整備をという趣旨から多くの意見が出され、概ね2年間の討議の結果、

昭和62年10月に区への要望と提案がまとめられ、翌年から工事に入りました。

 現在では、烏山川緑道は地区住民の貴重な憩いの場となっています。

 氾濫する烏山川

 暗渠になった緑道で、改修について話し合う

  改修が終わって開通記念のテレフォンカードより

  

(3)まちづくり中間提案

 協議会設立の際の大きな目的であった「まちづくり計画」は、ほぼ2年間の討議を経て、昭和

60年2月にまとめられました。昭和59年9月から、協議会内に3つの部会を設置して精力的に討

議を重ね、多い時は1ケ月に10回以上の部会が開催されました。

 提案内容は、区に推進してもらいたいことだけでなく、住民に広く働きかけること、協議会と

して主体的に活動すること等も含めてまとめられました。

 最終的には残された課題もあるため中間提案と呼ぶことにして、以降は個別の提案を積み重ね

ていくことにしました。

 その後の協議会活動は、この中間提案に沿って行われています。

 

 

(4)地区計画の提案

 太子堂2・3丁目地区ではマンションの建設や屋上広告塔の設置等を巡って周辺住民との間で

しばしば紛争が発生していました。

 そこで、まちのなかでの建て方のルールをつくろうという趣旨で「地区計画」の検討が進めら

れました。各地の事例を学習したり見学したり、区で実施した調査結果を参考にしたりして討議

が続けられました。

 これらの活動は、協議会内に設置された部会のひとつ「建て方ルール部会」によって進められ

ました。部会での検討内容を協議会全体で討議し、さらに協議会ニュースで地区住民の意見を求

めました。その結果、昭和63年3月に、区に対して「地区計画策定に関する要望書」が提出され

ました。区では、この要望に沿って検討を進め、平成2年12月に地区計画を決定しました。

 

(5)太子堂きつねまつり

 昭和58年夏に、まちづくりに対する関心を高めることを目的に協議会が主催して行った「太子

堂を歩こう会」や「オリエンテーリング大会」は大変好評でした。

 この経験を生かしてもっと多くの人々の参加によって、より楽しい夏の一日を過ごそうと「太

子堂きつねまつり」というまちづくりのお祭りが誕生しました。

 きつねまつりの命名の由来は、「太子堂子連れきつね」という民話にもとづいています。

 主催も、協議会だけでなく、地区内の多くの活動団体にも呼びかけ、「きつねまつり実行委員

会」が組織され、地区外の人々も含めて多くの個人やグループの参加によって企画・開催されま

した。

 まちを点検する「歩こう会」や、子どもを中心にクイズにこたえながらまちを発見する「オリ

エンテーリング」のほかに、毎年テーマを決めてさまざまな企画が実現しました。「フリーマー

ケット」「青空ティーチイン」「展示会」「みちギャラリー」「青空コンサート」「伝承遊びコ

ーナー」「まちづくりコーナー」「スライド映画」「寸劇」「サンバ大会」「クイズ大会」「手

作りコーナー」「パークショップ」「つぶやきの壁」、起震車実演、アルミ缶つぶし機の実演等

々、毎年盛り沢山の企画が登場しました。

 きつねまつりは、平成7年まで続けられました。

 

 

上の歌詞をクリックすると、それぞれの曲が聞けます。

 

(6)ワークショップ

 平成2年度から、協議会では防災まちづくりの活動ばかりでなく、より生活に即したテーマで

まちづくりを考えてみようということになりました。

 そこで、隣の三宿1丁目地区まちづくり協議会と共催で実行委員会をつくり、ワークショップ

の形式で、地区外の人々や専門家を交えて話し合い、アイデアを出し合う場をつくることにしま

した。

 平成2年には「老後も住みつづけられるまちづくり」という高齢化社会をテーマに、平成3年

には「ゴミゼロ社会をめざしたまちづくり」というリサイクルをテーマにしたワークショップが

50名以上の参加によって実施されました。

 平成4年には「環境共生地区施設づくり」、平成5年「三世代交流センターづくり」、平成9

年「地域に開かれた消防署づくり」をテーマにワークショップを実施しました。様々な世代の多

くの人々の参加によって、実りのある提案が生まれています。

 

(7)三太通り沿道会議と共同宣言

 「三太通り」は、太子堂地区と三宿地区との境にある道路で、防災的にも日常的にも重要な役

割をもつ道路として位置づけられています。この道路の整備をめぐっての沿道住民との話し合い

が平成7年からはじまりました。

 しかし、6m道路の拡幅整備を主張する区と、4m未満の道路を4m程度に整備すればよいと

する多くの沿道住民との間で意見の相違があり、当初は紛糾しました。

 そこで、太子堂および三宿の両協議会が呼びかけて、沿道住民による「沿道会議」を開催する

ことにしました。専門家を依頼して話し合いを続けるとともに、アンケートでの意向調査、ワー

クショップ、区の説明会等を行うなかで、徐々に沿道住民の合意が形成されていきました。沿道

住民の合意をもとに区との話し合いがなされ、最終的に平成10年8月、両協議会の立ち会いのも

とに、沿道住民と区の間で「三太通り整備に関わる共同宣言」が締結されました。まちづくりの

方式として、全国でもはじめてといえる「共同宣言」が実現しました。