まちづくり25年の成果

 

 

 

2-1 まちづくり計画、地区計画

 

 

(1)まちづくり計画

 

 協議会は、学習会の開催、まちの点検、広場づくりや「きつねまつり」への参加などの様々な

活動を重ね、設立から2年あまり経った昭和60年2月、それまでの検討成果をまとめ、地区住民

に意見を求めたのち、区に対して「太子堂まちづくり中間提案〜10の提案〜」を提出しました。

 区は、中間提案を受けて、同年7月に「まちづくり計画案」を発表しました。このまちづくり

計画案は、中間提案には含まれていない具体的な生活道路整備の計画などを盛り込んだものでし

た。

 そのため、協議会では、区のまちづくり計画案に対する異論も多くありました。さまざまな議

論の末、住民としては、区から提案された具体的な道路計画については、沿道の関係住民を主体

とした「沿道会議」を重ねて合意を得ることを条件に、計画案に沿って当面のまちづくりを進め

ることを了承しました。また、区からは道路整備について、下の図のように、歩行者の安全と快

適さを最大限確保した整備イメージが示されました。

 この「まちづくり計画案」は、平成7年4月に世田谷区街づくり条例の改正に伴い、「地区街

づくり計画」として位置づけられました。

 現在、地区をとりまく状況は大きく変化しています。特に、国立小児病院移転に伴う跡地利用、阪神・淡路大震災の経験を生かした防災の備えに対する再検討の必要性、また、中高層マンション等の建設に伴う周辺環境への影響の問題など、現行の計画を検討した時点での予想を超えた事態が進行しています。そのため、現行のまちづくり計画を見直す必要も生じています。

 

区がかつて提起した地区サービス道路のイメージ図(幅員6m、一方通行)


【昭和60年策定・まちづくり計画】

 


(2)地区計画

 

 太子堂2・3丁目地区の地区計画は、前述したように、協議会での検討の結果が「地区計画策

定に関する要望書」として区に提案され、それを受けて、区としての検討や地区住民への説明等

を重ね、平成2年12月に決定したものです。

 太子堂2・3丁目地区の地区計画の特徴は、既成市街地におけるこれ以上の密集化を防ぐため

に、最低敷地規模のルールを設けたこと(60uの区域を設定)、また、全国に先駆けて屋上広告

塔等の規制を設けたことなど、既成の密集市街地におけるルールづくりのひとつのあり方を示し

たものと言えます。

 

【太子堂2・3丁目地区・地区計画】

 


【地区計画・計画図】


 

2-2 まちづくり事業

 

 

(1)公園・広場整備

 

 太子堂2・3丁目地区のまちづくりがはじまった当時、住宅の密集地区であったにもかかわら

ず、公園・広場はほとんどない状況でした。防災活動の拠点としても、日常の憩いの場としても、

公園・広場は必要ですが、大きな公園など望むべくもない状況でした。そこで、考え出されたの

が、小さな公園(ポケットパーク)でもよいから、建物の建て替えにあわせて可能なところから

用地を確保し、ポケットパークをいくつもつくり、それらをつないで、地区全体として環境を向

上させるという考え方でした。

 まず、昭和55年の「ふれあい広場」用地の取得にはじまって、「2丁目子どもの遊び場」の開

設、昭和59年には、住民参加の計画づくりの先駆けとなった「トンボ広場」がオープンし、以降、

住民参加の計画づくりや自主管理などを前提とした公園・広場が次々とできました。

 

 

太子堂きつねまつりなどの                               

舞台となった貴重な公園、                               

ふれあい広場(開設当時は                               

「区民広場」)

 

 

トンボ広場(整備前)              トンボ広場整備後)

【太子堂の小広場】


(2)道路整備

 

 太子堂2・3丁目地区のまちづくりの課題は、まず「災害に強いまちづくり」にあります。そ

の中でも、特に、消防車が円滑に進入できる道路がほとんどないという状況を改善するには、な

んとかして道路を広げる必要がありました。また、震災時にとどまらず平常時の火事の際にもた

いへん危険な行き止まり路を改善する必要がありました。

 そこで、区は、まず、住宅密集地の行き止まり路の改善(通り抜け路化)に取り組みました。

行き止まり路の突き当たりのお宅の用地買収によって、通り抜け路の設置と同時に残った土地を

ポケットパークとして整備するなど、多くの成果が生み出されました。

 さらに、「まちづくり計画」や「地区計画」で、将来の拡幅道路を決めるなど、本格的な道路

整備にも取り組んでいます。


(3)その他の整備

 

 その他、区として、建築物の不燃建て替えや共同・協調建て替え、公園・広場への防火水槽の

設置などにも取り組んできました。

 

 

【データで見る太子堂2・3丁目地区の移り変わり】

            

    昭和58年(1983年)  

    平成10年(1998年)  

 

 人   口      

     8,489人    

     6,874人    

 世 帯 数      

     3,930世帯   

     3,946世帯   

 人口密度       

     228.5人/ha  

     193.1人/ha  

 耐火建築率      

     30.97%    

     52.54%    

 一人当り公園面積   

     0.43u/人   

     0.97u/人   

 

 

 

 〔まちづくり事業実績マップ〕


 

2-3 協議会活動とまちづくりの成果

 

 

(1)沿道会議の開催

 

【議論が最も対立した道路整備の問題】

 区から防災の課題として提起された「家づくり」(建物の不燃化)、「道づくり」(狭あい道

路の整備)、「広場づくり」(防災拠点の確保)の中で、議論が最も対立したのが道路整備の問

題でした。

 区は昭和60年7月、「太子堂地区まちづくり計画」を提案してきました。これは、協議会の

「まちづくり中間提案」で提起した「生活道路の整備」の要望を受けて策定されたものですが、

協議会では、この計画の中で示された6m道路の拡幅整備には反対意見が多数を占めました。し

かも、区が協議会との合意を待たずに個別の建て替え計画に対して3mセットバックの行政指導

をはじめたことが判明したため、協議会メンバーの強い反発と不信を招きました。

 

【地区計画の検討へ】

 このため協議会は、独自に「建て方ルール部会」を設置して道路整備のほか、ブロック塀、ワ

ンルームマンション、屋外広告物の規制などについて検討し、これを法的に担保するため地区計

画を策定する方針を決めました。

 協議会で合意した「地区計画策定に関する要望書(案)」は、昭和63年3月協議会ニュースで

全戸配布、住民に賛否の意見を求めて反対がないことを確認してから区長に提出しました。この

要望の中で、4mを超える拡幅整備については通過交通の抑制と沿道住民の合意形成に十分配慮

することを特に提案しています。

 

【区と協議会による沿道会議の取り組み】

 区は、この要望を受けて昭和60年に策定した計画のうち、当面3本の道路を6mにしたいと提

案してきました。協議会の討議では反対意見が多数を占めましたが、最終的には拡幅される沿道

住民の意見を尊重するため沿道会議を開くことにしました。

 最初に公園通りの沿道住民に区と協議会が呼びかけて「子供の遊び場」で青空会議を開催した

ところ、沿道住民の8割近い人たちが参加してくれました。区の拡幅提案に対しては、通過交通

が増加し車がスピードを出すので危険、違法駐車も増えるなどの理由から反対する声が多く、賛

成する意見は出ませんでした。区は、こうした反対意見を尊重して当初の拡幅整備計画を撤回、

第2回の沿道会議で、別図(20ページ)のような3mの壁面後退方式の提案をしました。併せて、

壁面後退の一部土地の買い上げと歩道整備などの条件も提示した結果、沿道住民の同意が得られ

ました。

 引き続き、円泉寺通りと区民広場通りの沿道会議を開催、同様の提案をしたところ、その場で

は反対意見が出なかったため、協議会は区が都市計画法に基づく地区計画の法的手続きを開始す

ることに同意しました。しかし、都市計画審議会の前日、円泉寺通りの沿道会議に参加できなか

った住民が改めて沿道会議を開き、区の提案に反対しました。このため、同審議会は、住民の合

意形成に努力することを付帯条件として地区計画を承認しました。

 このような経緯から、区は地区計画の建築条例化を見送ったため、その後の地区計画違反行為

への行政指導に課題を残すことになりましたが、多くの住民が地区計画を遵守することで道路整

備は急速に改善されていきました。

 協議会は、この経験から改めて周知の重要性と話し合いで解決する大切さを学び、前述の三太

通りの沿道会議では時間をかけて合意形成に努めました。

 

 

(2)地域紛争への対応

 

【太子堂でも建築紛争が多発】

 太子堂地区では、昭和50年前後からマンション紛争事件が多発するようになりました。これは、

全国的な日照権を確立する住民運動が背景となっていますが、協議会の設立時には、こうしたマ

ンション紛争事件にかかわった人たちも積極的に参加してきました。また、設立後も、協議会に

は建築紛争の相談が数多く持ち込まれましたが、こうした紛争事件に関わったことを機に新たに

協議会メンバーとなる人もいました。

 

【まちづくり協議会と建築紛争】

 都市整備に関するまちづくりを検討していく上で、地域の建築紛争事件を避けて通ることはで

きません。しかし、協議会には様々な立場の住民が参加していますから、建築紛争事件に組織と

して直接かかわることには慎重な態度をとってきました。多くの場合、マンション反対運動は近

隣住民が主体的に行ってもらうことにし、住民運動を経験した協議会メンバーが個人的にアドバ

イスするなどの形で対応してきました。

 もっとも、地区外の不動産業者や開発・建築業者の中には法令や指導要綱を無視して事業を進

めようとする企業もあります。こうした場合は、協議会として区と連携しながら直接説明を求め

たり、計画変更を交渉するケースもありました。

 協議会は、こうした建築紛争事件を通して地域住民の考え方を把握し、これを地区計画の基準

づくりに反映してきました。地区計画は、平成2年11月に都市計画決定されましたが、建物の最

高高さ、最低敷地面積などの規制値はこうした建築紛争事例の積み重ねの中で住民の合意できる

基準を決めることができたと言えるでしょう。

 

【マクドナルド広告塔問題から屋外広告物の規制へ】

 特徴的なのは、昭和60年のマクドナルド広告塔をめぐる紛争事件を通して、法定地区計画に全

国ではじめて広告物の規制を盛り込んだことです。この広告塔は、首都高速道路3号線沿いの12

階建てのマンション屋上に設置されたもので、日影被害のほか赤いネオンの点滅が周辺住環境に

悪影響を与えるとして協議会でも直接問題にした事件でした。

 この事件は、マスコミが新しい“騒色”公害として大きく取り上げたこともあって、世田谷区

が「屋外広告物指導要綱」を制定したのをはじめ、各地の自治体の景観条例の中に広告塔の規制

を対象とするところも増えてきました。最近では、環境庁が“光害”に関するガイドラインを設

定するなど、光、色などの住環境への影響がまちづくりの課題として全国的にも関心を高めてき

ています。

 一方、世田谷区は、建築紛争を予防するため「中高層建築物等の建築に係る紛争の予防と調整

に関する条例」につづいて「小規模宅地開発指導要綱」「ワンルームマンション等建築物の建築

に関する指導要綱」を制定するとともに、昭和61年に「街づくり建替登録・誘導事業制度」を定

めて建築確認申請前の事前相談により、個別計画を街づくり計画に適合させるための誘導制度を

つくりました。

 

【事前協議協定】

 さらに平成3年には、区と協議会の間で街づくり条例に基づく「事前協議協定」を締結、街づ

くり計画に支障をきたす恐れのある開発、建築計画に行政と協議会が協同して対処することを決

めました。この事前協議協定は、平成7年の街づくり条例の改正に伴って解消されましたが、区

と協議会の話し合いで、協定の精神は引き継ぐこととなっています。

 

 

(3)ワークショップの実施

 

【協議会の若いメンバーと】

 ワークショップが住民参加の防災まちづくりの活動に取り入れられたのは、全国でも太子堂が

最初といわれています。

 ワークショップとは、仕事場とか研修を意味する言葉ですが、教育学や心理学の分野で、集団

体験を通じて参加の機会、問題発見、創造性の拡大などを育むプログラムとして確立した手法で、

アメリカでは70年頃から都市計画の分野に導入されてきたようです。

 この手法を太子堂地区のまちづくり活動に持ち込んできたのは、協議会に参加していた「子ど

もの遊びと街研究会」の若い人たちでした。このメンバーは、太子堂で遊び場づくりの活動をは

じめ、昭和57年にはトヨタ財団の助成を受けてまとめた「三世代遊び場マップ」が同財団の研究

コンクールで金賞を受賞して注目されました。

【点検活動やトンボ広場づくりなど、ワークショップの方法で】

 協議会は発足当初、街の問題点について共通意識を持つためにまちづくりに関する学習会と並

行して街の点検活動をはじめると、若い人たちが積極的にワークショップの手法を持ち込んでき

ました。もっとも、はじめの頃は住民になじみのないワークショップということばは使いません

でしたが、まちを点検する「歩こう会」「トンボ広場づくり」「烏山川緑道の再生計画づくり」

などの活動に応用して成果を挙げることができました。

 

【地区外からの参加も交え本格的ワークショップへ展開】

 協議会が正式にワークショップということばを使ったのは、平成2年に実施した「老後も住み

つづけられるまちづくり」をテーマにした提案づくりが最初でした。この企画は、太子堂地区ま

ちづくり10周年を機に実施したものです。

 それまで太子堂のまちづくりは、ハードの防災に重点を置いた討議をしてきましたが、ソフト

を含めた総合的なまちづくりの検討が必要なこと、また協議会のメンバー以外の広い住民の知識、

経験を提案づくりに反映するために企画したもので、三宿1丁目地区まちづくり協議会と専門家

に呼びかけて「三太(さんた)ワークショップ実行委員会」を発足させました。

 当時、区で企画した「まちづくりリレーイベント」が実施されていましたので、協議会は、こ

れに住民の自主企画、自主運営で参加することを申し入れ、運営費を助成してもらいました。

 区の広報紙で募集したところ、地区外の住民を含めて20歳台の学生から80歳のお年寄りまで70

名が参加、1年間かけて6つの提案をまとめました。

 そのひとつが「楽働(らくどう)クラブ」の提案でした。これは、高齢者の経験や知識、技術をま

ちづくり活動に生かそうという趣旨のもので、ワークショップ終了後、三宿・太子堂の住民を中

心に正式に発足、現在も毎月園芸講習会を開いているほか、地区内のポケットパークの管理や花

植えなどの活動をつづけています。

 「老後も住みつづけられるまちづくり」が好評だったので、引きつづいて「ゴミゼロ社会をめ

ざしたまちづくり」「環境共生地区施設づくり」「三世代交流センターづくり」「地域に開かれ

た消防署づくり」をテーマにしたワークショップを開催してきました。これらは、その後区が創

設したまちづくりセンターやまちづくりファンドの技術的・資金的援助を受ける事ができました。

 ワークショップでまとめた提案は、その後の行政施策や事業計画にさまざまな形で生かされて

います。

 

 

(4)他地区との交流

 

 太子堂地区の防災まちづくりが、住民参加型まちづくりの先進事例として紹介されるにつれ、

さまざまな見学者が訪れるようになりました。

 建設省、東京都の都市計画担当者をはじめ、地方自治体、地方議会の議員、大学の研究者、都

市計画の専門家などのほか、北は東北の多賀城市いわき市から、南は四国の高知市、九州の熊

本市など数多くの市民グループも見学に来られ、協議会メンバーと交流するようになりました。

 これら訪問者をグループ別に見た特徴は次のとおりです。

 

【各地の地方自治体との交流】

 住民参加のまちづくりに対する地方自治体の関心が高まって、地方都市の担当者の見学、交流

が増えただけでなく、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都23区、住宅・都市整備公団(現:都市

基盤整備公団)などでは職員研修のテーマに取り上げ、太子堂での現地研修が実施されました。

 

【大学や若い学生との交流】

 各大学の都市計画関係の先生方が太子堂を調査、その研究論文が様々な雑誌に紹介されると、

さらに数多くの大学研究者の訪問が増えるようになりました。特に、日本建築学会、土木学会に

太子堂の事例が報告されたこともあって、大学生が卒業論文、修士論文のテーマに取り上げるケ

ースが急増、その中には協議会の活動に示唆を与えてくれるものもありました。地元の昭和女子

大学では、大学生のほか付属の中学生のグループが独自に「理想の住環境」をテーマに太子堂を

調査、これを文化祭で発表して注目されました。

 

【太子堂2・3丁目周辺地区へまちづくりの展開】

 広告塔紛争事件などで太子堂の協議会と交流を深めた三宿1丁目の住民は、昭和63年独自に協

議会を設立、署名運動を行って条例に基づく「街づくり推進地区」の指定を受けて活動をはじめ

ました。これは、世田谷区内で住民主導で設立した最初のまちづくり協議会となりました。また、

太子堂4丁目の住民有志も2・3丁目地区の協議会との交流をはじめ、平成4年に協議会を正式

に設立して活動をつづけるなど、まちづくりの輪が次第に周辺部に広がっていきました。

 

【防災まちづくりフォーラム】

 平成2年、墨田区一寺言問地区の「一言会(ひとことかい)」の呼びかけで、都内の防災まちづくり

住民団体が「防災まちづくりフォーラム」を開催しました。翌年は、世田谷区の太子堂・北沢・

三宿の3協議会が呼びかけて北沢タウンホールで第2回を開催、13団体の参加を得て「ものづく

りを通じた住民参加のあり方」を中心テーマに活発な討議を行いました。当日は、太子堂と交流

のあった神戸市真野地区の住民の方々も参加し、先進的な活動を報告してくださいました。これ

が縁で、平成7年の大地震の直後、いち早く真野地区の後方支援組織に加わってカンパを集め、

また、真野まちづくり推進会の宮西さんを招いて被災経験の報告集会を開きました。

 

【海外との交流】

 国内だけではなく、アメリカの大学で都市デザインを教えているヘンリー・サノフ教授、イギ

リス王立都市計画協会ブライアン・ラゲット会長をはじめ、韓国の都市研究グループ、台湾政府

公務員研修グループなど各国の都市計画の専門家やNPOのリーダーらが太子堂を訪問、協議会

メンバーと交流してきました。特に台湾では、台湾テレビが太子堂のまちづくりを紹介したのを

はじめ、台北市建築士協会の集会や宜蘭市で開催された「まちづくり博覧会」のシンポジウムで

協議会メンバーが活動報告をするなど、太子堂のまちづくりは国際的にも高い評価を受けていま

す。